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2011/02/15

アブラクサスの祭

かつてロックバンドを組んでいたが、鬱病になり僧侶となった浄念。
福島の小さな町で妻と息子と共に暮らしているが、薬は手放せず、説法も上手くできない。
悩み多き日々の中、自分にはやはり音楽しかないのでライブを行うと言い出すのだが…

お坊さんだからって、皆品行方正で誰かに答えをあげられる程悟ってるわけじゃない。
むしろ、生きることについて考え続けねばならないなんて精神的にしんどい職業だと思う。(職業っていう言い方は変か)
さらに周囲からは禁欲的で頼りになる人であることを求められるし大変だよなぁ。
お坊さんの友人がいなかったら、私もそんなイメージ持ってたし。

お坊さんだって悩むし、ロックを愛する。
ただ、この映画の主人公である浄念は、ロックを愛するお坊さんというより、音楽しかない表現者かと。
禅宗の僧侶だからか、感じるままを話すと抽象的過ぎるからか、言ってることがよく分からないことは多かったんだけど。

音楽に限らず、画家、作家、役者等々表現者が持つ苦しみ。
表現することも苦しいけど、それから離れて生きるのも苦しい。
日常に「慣れる」ことができたらもっと楽に生きれるだろうに。
慣れないからこそ、生み出されたものは人の心を動かすものになるんだろうけど。
私にはこれがないと自分じゃないと思うような「何か」がないから理解はできないけど、持たないことを幸せに感じてしまうよ。

ともさかりえ演じる浄念の妻がすごく良かったです。
長期鬱(躁鬱かな)の人を近くで支え続けるって本人もつらいだろうけど、周りもしんどいと思う。
見捨てず家庭を守り続けるって、相手を本当に大切に思ってないとできないよなぁ。

そんな妻の心配を押し切ってのライブ開催。
ノイズだと感じない歌が始まり、路線変更かと思いきや、最後はやっぱりトランス状態?
脱ぐなと言われたのに脱いでるし、あんな田舎で暗くなる頃に大音響だしてたらご近所から苦情が来るだろな。
ただ、すごく幸せそう。心からの笑顔。
そんな夫を見つめる妻にもしょうがないなというような笑顔。
あんな顔見せられてたらしょうがないなってなるかも。

エンディング曲は「ハレルヤ」って歌ってます。
めっちゃキリスト教じゃないかと思ったけど、南無もハレルヤも同じことって言ってたしいいのか。
むしろ受け入れちゃう広さを感じます。

そういえば、鏡に映るたくさんの自分を見つめて「自分などない」と語るシーン。
鏡を見つめ続けるのって怖いんだよなー。
離人感が出るらしく自分などないというより、鏡に映っている人物が誰か分からなくなる。
ま、今じゃそんなことはないけど、あれはしたくないわ。
映画(劇場) | Comments(0) | Trackback(0)
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